見学会・講演会、学生・若手技術者支援の記録

大阪府内の名橋調査記録

2024.10.08

第1回大和川沿いの橋梁&土木遺産見学会報告(2020年11月21日開催)

            大和川沿いの橋梁&土木遺産見学会(第一回) (2020.11.21)
 
 大和川は奈良盆地を流域として生駒山地と金剛山地間の谷間を越え大阪平野に下ると、かつては北上して淀川と合流していた。治水のため、314年前に柏原駅付近(新大和橋辺り)から西に付替えて大阪湾に流れており、淀川より付替の歴史は古い。付替られた大和川沿いの橋は200m前後の橋長で揃っている。
 一方、大和川の付替個所は世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群に近く、奈良時代には平城京と難波京を繋ぐ龍田古道の経路で河内大橋が存在したとみられており、古代より栄えた歴史がある。中世では大坂の陣での古戦場跡が点在しており、大坂に至る主要な経路となっていたことが窺える。さらに、明治以降は近鉄電車で最古の路線(柏原駅~道明寺駅)が1898年に開設された区間であり、現在も当時の路線のまま供用されている。
 このような歴史的な背景や大和川付替の経緯を理解した上で、大和川に架かる橋とその周辺の施設、資料館を調査することとした。全行程9㎞を徒歩で計画していたが、柏原市立資料館と大和川治水記念公園間は距離もあることから、参加者の体力を考え、柏原駅でJR・近鉄乗換を利用した経路とした。

   
玉手橋にて

◎開催日:  令和2年(2020年)11月21日(土) 10:00~15:30

◎参加者(敬称略、順不同):14名

   石原、井元、祝、宇野、栗田、先本、清水、田中、中垣、南荘、道下、森、野坂、武   

◎調査コ ース  
 
 

◎見学・調査報告  ( 各ページの[写真]内の画像をタップすると拡大して見られます )

(1) 誉田八幡宮・放生橋 (羽曳野市文化遺産)  [写真]  (位置図)
(2) 玉手橋 (登録有形文化財)(文化庁)  [写真]  (位置図) 
(3) 国豊橋   [写真]  (位置図)              
(4) 柏原市立歴史資料館  [写真]  (位置図)  
(5) 築留二番樋 (登録有形文化財)(文化庁) [写真] (位置図)   【   [他樋] (築留樋門位置図)  】
(6) 大和川(治水公園)  [写真]  (位置図) 
(7) 新大和橋   [写真]  (位置図)  
(8) 新大和川付替起点碑    (位置図)  
(9) 旧河陽鉄道(現近鉄道明寺線) (土木学会選奨土木遺産)  [写真]  (位置図)
                 
感想
 誉田八幡宮は日本最古の八幡宮であり、御神体に至る通路上に放生橋がある。石造の太鼓橋で欄干は歴史を感じさせるデザインであり、渡橋は儀式専用となっている。玉手橋は完成後92年を経た歩行者専用の5径間連続吊橋であるが、現在も変わらず供用されており当時の技術力の高さが窺える。吊橋独特の放物線状の主ケーブルや主塔が周囲のランドマーク的な存在となっており、多くの市民に利用されている。国豊橋は、大和川付替地点より上流にあり、旧街道を渡し船で結んでいた箇所に架橋されたものであり、現在も国道25号線として多くの交通量がある。
 柏原市立資料館では、期間限定の大和川付替に関する展示がされており、創始者の中甚兵衛の直筆の陳情書や付替を記した絵図の原本が閲覧できた。付替で洪水を免れられる側と農地を失う側で長期間に渡り問答が繰り返されていた経緯が判る。その後、大和川付替の現地を訪問し、付替前の農地側に用水を確保する築留二番樋や、堤防上に建立された付替に関する石碑群、中甚兵衛の銅像を見学し、その功績を偲んだ。
 大和川に架かる近鉄電車の鉄道橋はイギリス製の鋼桁が使われ、完成後122年を経ているが、入念な維持管理を施して供用されていた。この近鉄道明寺線では、欧州からの技術導入で建設された形跡が残っており、土木遺産になる溝橋の橋台には、フランス積み様式やイギリス積み様式のレンガが施工されている。東高野街道に架かる新大和橋はまさしく大和川付替で必要になった橋であり、現在は歩行者・自転車専用道として利用されている。
 大和川付替部付近には古代から近世まで歴史のある施設が混在しており、時代背景に想いを馳せながら散策するには絶好のコースである。