浪速の名橋などの土木施設の調査記録

会員対象見学会

2024.09.19

角倉了以の偉業と三栖閘門見学会報告(2021年12月9日実施)  

角倉了以の偉業と三栖閘門見学会 (2021.12.9)

 

◎ 角倉了以プロフィール

角倉了以(1554年~1614年) [詳細]   [年表]

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した京都の豪商・土木実業家で、本名は吉田光好と言います。朱印船貿易の開始とともに家康の朱印状を得て安南国との貿易を行いました。

一方、商品の流通のために国内での土木事業にも力を入れ、水運確保のため富士川、天竜川をはじめ、地元京都山城の大堰川(保津川)と高瀬川などの水路を開きました。多くは私財を投じて開削を行い、大堰川は通行料を徴収して費用を回収するなど、現在のPFIの先駆けとも言えます。

地元京都では商人としてよりも琵琶湖疏水の設計者である田辺朔郎と共に「水運の父」として有名です。

角倉了以翁の顕彰碑

◎調査目的

2021年度のCVVの自主調査は、この角倉了以の足跡をたどり、その偉業を偲びました。併せて、昨年度の選奨土木遺産調査で行けなかった、宇治川下流の三栖閘門を見学してきました。

 

参加CVVメンバー(三栖閘門前で撮影)

◎ 開催日:2021年12月9日(木)9:15~16:20

◎ 参加者(敬称略、順不同):11名

石原、今岡、宇野、栗田、齋木、清水、鈴木、田中、中垣、南荘、吉岡

◎ 調査コース:[見学先広域図(拡大図)]

阪急嵐山大悲閣千光寺渡月橋角倉了以立像(亀山公園) → 桂川河川敷(昼食) → 角倉邸跡(花のいえ) 高瀬川堰止め石高瀬川一之船入角倉了以別邸跡(がんこ二条苑高瀬川)瑞泉寺三栖閘門(資料館)

                    ◎ 見学・調査報告:      

大悲閣千光寺(保津川工事で亡くなった人々の菩提を弔うため、嵯峨野 清凉寺近くにあった千光寺を了以がこの地に移した) [写真] [位置図]

渡月橋(現在の位置に橋を架け替えたのが了以) [写真] [位置図]

角倉了以立像 (亀山公園内) [写真] [位置図]

角倉邸跡(現在公立学校共済組合保養所「花のいえ」) [写真] [位置図]

高瀬川・堰止め石・一之舟入
  (堰止め石)(御池通に三つの堰止め石が残されている。水量の少ない時にコの字型の石に板をはめ
        込み、上流の水位を上昇させる堰構造で、板の無い区間を高瀬舟が航行するという閘
        門機能も有していた)  [写真] [位置図]
  (一之舟入)
(舟入は二条~五条間に大小九ヶ所、船回しは二ヶ所あったようだが、一之舟入は七条
        通北側にあった内浜に次ぐ大規模な舟入であった)  [写真] [位置図]

角倉了以別邸跡(→山縣有朋別邸「第二無鄰菴」→川田日銀総裁別邸→・・・→現在「がんこ二条苑
         高瀬川」)[写真] [位置図]

瑞泉寺(豊臣秀次一族を憐れんで、了以が建立した寺)  [写真] [位置図]

三栖閘門(選奨土木遺産)、三栖閘門資料館  [写真] [位置図]

◎ 感想:

 京都市内には歴史的な資産がたくさんあります。また多くの歴史上の人物に所縁のある施設も多いのですが、土木史に残る角倉了以が開削した保津川と高瀬川もその一つです。物資輸送のための水運機能は既に使われなくなりましたが、貴重な観光資源として今も京都の人々の生活を支えていることがわかります。当日も、次々と保津川下りの観光船が通り過ぎ、高瀬川の両岸は川に面して多くの飲食店が並び、風情を漂わせていました。
 同じように、選奨土木遺産に認定されている三栖閘門は、陸運による輸送代替と淀川の常時水位の低下で水位調整が困難となり閘門機能は失われましたが、堤防と一体となった大規模なストーニーゲートは今なお重要な防災機能を担っています。また新たに河川公園の一部として修復保全され、伏見の酒蔵を巡る観光船(十石船等)の船着き場として利用されています。このように、その用途は変わっても、今なお生き続けている土木遺産と、それを遺した先人達の偉業に改めて感銘を受けました。保津川と高瀬川は、既に観光資源として活用されていますが、そこに角倉了以の偉業と土木施設としての価値にも触れたインフラツーリズムの企画を土木学会関西支部などに提案していければよいと思います。