藤澤政夫氏の思い出
               
 〜「これは間違っていますが」〜

                                         渡邉義方
  
                                (元土木技術協会専務理事)

 藤澤政夫氏と私の出会いは、いまからおよそ四半世紀遡る昭和50年代半ばのことである。 当時、私は大阪市土木局街路部の主幹、彼は同立体交差課の主査の職にあった。我々の職務は、街路の橋梁や交差点改良の構造物の設計と積算、およびそれらの地元関係者への説明や対応などが主なものであった。
 彼は、当時、橋梁関係の「課」としては日本で唯一と言われた、大阪市の橋梁課の出身で、橋梁技術のエキスパートとして活躍していたが、持ち前の人当たりのよさと温和で紳士的な物腰から、部下は勿論、多くの地元住民からも信頼されていた。 しかし同時に、容易に節を曲げない強さも同居していた。


 
昭和60年4月某日(期日についての記憶が定かでないが)、当時の大島市長による辞令発令式が中央公会堂で催された。大阪市の場合この辞令発令式は、式の進行に万が一にも間違いのないよう人事当局が事前に充分チェックして、厳重に管理され、厳粛な雰囲気の中で行われるのが常であった。
 当日も式は粛々と進行し、ついに藤澤政夫氏に発令の順になった。市長の前に進み出た彼は、辞令を受け取り一礼した瞬間、「これは間違っていますが」(註:本人談)と言った。 これは事務方に向けて言うべきであったかもしれない。しかし、彼は市長に直言した。 周囲に緊張が走った。 当然、辞令を交付した大島市長は驚き、唖然とした。 人事担当局長は憤然として部下を睨み、人事課長は愕然、担当係長は呆然、立会の三助役も唖然、辞令を受ける側の職員席は騒めくという状況であった。結局、人事課長が走り回って正しい辞令を交付してことなきを得たが、のちに聞いたところでは、突然の欠席者があって名簿順に狂いが生じたため、彼に全く「別人の辞令」を発令してしまったとのことであった。

 
私は、当日、辞令を受けた一人としてこの場に出席しており、ことの顛末の一部始終を見ていたが、極めて厳粛な場である辞令発令式の珍事であった。

 この一件は、藤澤政夫氏の面目躍如というべきであろう。私は、冒頭に述べた彼と同じ職場にいた頃、彼が温和でソフトではあるが、直感と度胸のよさでズバリ厳しい表現で周囲を黙らせるシーンをまま見ていた。 当時、彼の部下はこのことを「ニッコリ笑って人を切る」と言っていた。 だから、私は、彼が直感と度胸のよさで市長に直言したこともむべなるかなと納得した。
 あれから20年近くになるが、彼とは職場が違うために、ほとんど出会う機会がなかった。 ところが昨年、突然の訃報に接して本当に驚いた次第である。
 おそらく、今頃彼は、天国で「ニッコリ笑って人ならぬエンゼルを切って」いることだろう。
惜しい人の早世を悼む。  合掌。

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