藤澤政夫様を偲んで

                                       高端宏直(元明石高専)

 平成15年2月のある日、藤澤さんからの衝撃的なメールを拝見しました。私も幼い頃より人生の荒波を少しは経験してきた積りですが、遂に返送する勇気も無く失礼してしまいました。悔いの残る事をしたと回顧し、反省しております。
 昨年の暮れにCVV開催の藤澤さんを偲ぶ会に参加させていただきました。奥様やご子息様、お嬢様らにお会いしました。お元気そうで和やかに過ごされておられ、ほっとするとともに、藤澤家の家族愛をかいま見た感がします。また温かいご家族のご協力による、富士山山麓での闘病生活のお話をお聞きし感動しました。

 藤澤さんに初めてお会いしたのは昭和44年頃でした。私の同僚の結婚式の披露宴で、花婿の同期生として3名の方が出席していました。そのお一人が藤澤さんでした。 3名とも見るからに上品そうな貴公子といったところで、大阪市大の土木も変わったものだと感心した次第です。それから千本松大橋の学生見学をお世話願いました。現地まで来ていただき、ご丁寧に案内をしていただきました。以後、直接お会いする機会はありませんでしたが、数年前にある会で同席し、学校での講義のもちかたや進め方について熱く語られ、感銘を受けました。非常勤講師としてのご経験によるものとお察しします。その教え子たちの同期会にも招待されるほどの人望がおありでした。一昨年より、谷平先生のお誘いを受けてCVVの行事のお手伝いをする機会を得ました。割箸の橋造りの予行演習では藤澤さんと向かい合ってご指導をお受けしました。また昨年のCVVの総会では隣に座らせていただき親しく歓談いたしました。その際も藤澤さんの健康については何も感じませんでした。藤澤さんの人格に触れ、これから色々とご指導をいただく筈でしたが、それも最早実現できません。微力ながらCVV活動に尽したいものです。
 藤澤さんの親友でもある同期生の向山さんが、私に語ってくれました。「彼とは学生時代から親しくお付き合いさせてもらった。彼は大学では熱心に土質工学の研究に励まれた。社会人になってさらに構造工学の勉強をされ、この分野の専門家になった。また会合や話し合いにおいても、彼がかもし出す特有の雰囲気によって円満にまとめられた。彼に会ったあとは、しばしば癒しを感じ、気分が良くなった」と。このように誰もが藤澤さんの技術者としての造詣を認め、人間的にも広く愛されておられます。

 私自身、藤澤さんとは余りお付き合いもなく今回の事業に投稿する資格はございませんが、お勧めにより書かせていただきました。既述のように、こんなにも早く藤澤さんにお会いできなくなるとは予想だにもしませんでした。残念でなりません。
 改めて、藤沢さんのご冥福をお祈り申し上げます。                                



           

               花のフェスタこうべ2002「土木の学校」のリハーサル


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