よき先輩でした

                                  石田 貢
                              (大阪市橋梁課長)

藤澤さんと私は歳も違うので、皆さんはそうは見ていませんが、職場的には、私は藤澤さんの後を大筋、追いかけてきました。
 係員の頃は街路の橋梁、係長級になって橋梁課の現場、また街路の橋梁、そして課長級になって 立体交差課、橋梁課といった具合です。(異なる職場は省略しています)
 職場ではいつもにこにこしていて、でも内容は結構きついことも平気で言っていました。また旅行などでマージャンをしても、すぐにテンパイでリーチ、そしてツモとなるわけです。ついていたということになりますが、マージャンというのは数字の遊びですから、普段あまりマージャンをしていなくても、数字に強い藤澤さんの勝ちとなるわけです。マージャンはけっして強いとは思いませんでしたが、数字には本当に強かった。
 そして、私はひとつの悟りの境地になるのです。
「やはり、藤澤さんはスーパーマンだ」
 この点が、私と違う大きなポイントでしょうか。

*  *  *

藤澤さんの担当した橋というのは、吾彦大橋、菅原城北大橋、なみはや大橋、千歳橋と数えたらきりがありません。
 私が平成154月に橋梁課長になってすぐに、千歳橋が完成しました。
「石田君なあ、僕が手がけた橋はこれですべて完成することになるんや」
「面白い形の橋ですねえ」
「やっぱり、橋は楽しいよ」と言っておられたのが印象的でした。
 私もいつか言ってやろうと思う一言です。

 これが、元気な頃の最後の言葉だったかな。 

もう少し、教えて欲しかったと言うのが本音です。
 合掌。




           

                         千歳橋の一括架設の瞬間を見学


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