藤澤さんを偲ぶ(有り難う)


                                         安達成光
                              (元大阪市土木局技術監)

 故藤澤政夫さんは、私にとってはかけがえのないパソコンの師であった。
一時の大病から完全に立ち直り至極元気にご活躍中であったのに、思いもよらない早世、  
誠に残念極まりない思いである。
 謹んで哀悼の意を捧げる。


○彼と私とは年齢が丁度一回り違い、私が定年(昭和59年)を迎える頃、彼は橋梁課か
ら出て庶務の検査担当の責任者として活躍していた。複雑な資料を、当時まだ正式に導
入されていなかったパソコンで整理して再三説明をしてくれたものである。パソコンのパも
判らなかった私は、唯その手際の良さ便利さに感心するだけであった。

○それから何年・・・・・?。役所の机の上にはアチコチに大きなパソコンが並び、管理職の
机上にもノートパソコンが並んで、メカには滅法弱い私にとっては何となく近寄りがたい様相
を呈し始めた。
 藤澤君等のパソコン導入のための活躍が、ようやく実を結び始めたのであろう。

○丁度その頃、戦後50年を期に、私も何かと原稿を書く機会が多くなり、使い慣れたワー
プロを修繕に出したところ、型が古すぎて既に部品がないとのこと。元々文才がない私は
手書きにすると、訂正の繰り返しばかりで、何回書き直しても又直ぐに読めなくなる。
困り果てた結果、倅の使用していないパソコンを据えて貰って一太郎を使用し始め、パソ
コンの便利さに興味を覚え始めた。

○今回、故人への感謝の気持ちを反芻すべく、古い日記を取り出してみたが、その記録
によれば、平成十二年二月の初め、梅田第二ビルの喫茶店で彼にパソコンの弟子入り
を申し出ている。続いて十日程の後、南港の日立造船の顧問室、彼の机上で、メールを
主体としたレクチャーを受けている。
 忘れもしないが、その時、「勉強する為の本は?」と質問したところ、「この種の本は取り
付きにくいものばかりです。先ずは実践です。問題があれば何時でも行きます」との心強
い励まし。この一言が、未知のものへの取り組みに忸怩としていた私の背中をポンと押し
てくれたのである。
 その後は全て彼におまかせ!。3月3・6・8・10日と我が家に来てくれ、メール初発信
にまで漕ぎ着けてくれた。

○更に4月8日には、ウィンドーズ95を98に切り替えてくれた。
日頃、会社で一太郎のコーチをしてくれていた若いT君が、「藤澤さんのパソコンの知識
は素晴らしい。何かあるときは、勉強のため私も一緒に呼んでください」と言っていたので、
その日はT君も呼んで、二人の共同作業となった。
私も当初は彼らのマウス操作を覚えるため画面を懸命に見つめて筆記していたが、その
頃には、そのあまりの鮮やかな早さにとてもついていけないとすっかりあきらめて、全て貴
方任せになってしまっていた。
 何時もの通り横で寝そべって見ている間にツイウトウト。・・・・・・「もうやりますか」「ウンい
くか」・・・・。話し声だけが耳に入る。やがて「完了しました」「バッチリです」との声で起こさ
れた。
 「でもチョット失敗しました。前の控えをとっとくの忘れました」「エ!。・・・・・・?」「以前の
もの全部消えました。覆水盆に返らずですわ。ハッハッハ」。記念の受信メール100通程
その他がパー。その時の彼のおおらかな柔和な笑顔が今も目に残る。

○それ以来、ISDNへの切り替え、更に日を経てADSLへの切り替え、ウイルス被害の
修復、送信されてきた写真の印刷、行方不明になった資料の探索、各種CDのインスト
ール等をはじめとして、トラブッた時にも何回と無く往診を依頼した。pm10時過ぎまで
頑張って貰ったことも幾度か。
電話やメールで質問したことも数え切れない。「こんな事、滅多に起こることではない」
と思えるようなチョンボの質問にも、即時にメールで回答が来た。おそらく解説書を調べ
る時間も無い筈。その知識の広さには、ホトホト感服したものである。
 CVVの記録も幾度か送ってくれた。
ある日、自作の夢舞大橋のCDを持ってきて、楽しそうに説明してくれた事もある。彼の
現役時代の大きな思い出の一つなのであろう。

○その頃、パソコンを始めたいとの話を耳にすると、誰彼なしに「藤澤門下生になれ」と
勧めた。
一方、藤澤先生には、私より後で入門した後輩弟子達はドンドン上達するであろうから、
この際弟子の順番をつけたおいて欲しいと申し入れた。「安達さんは3番弟子です」と
のこと。「腕は悪くても高弟であることに大満足だ」と二人で大笑いしたことがあった。

○人に言わせると私のパソコンの扱い方は非常に乱暴らしい。最初に彼に「パソコンは
余り神経質にならなくても、それ程簡単に壊れるものではありません」と聴いたせいか。
いざとなれば何時でも往診してくれる名医がいる安心感からか。
一寸トラブルとアチコチをクリックしたおすので、より複雑化してしまい、またまた先生に
往診をお願いすることになる。
 私は思う。「パソコンとは馬に似たり。一度トラブルと動かない・止まらない・どうにもな
らない荒馬のようだが、名手によりトラブルが解決されると、恰も意志相通ずる名馬のよ
うに心地よく動く」と。
大トラブルがヤット解決して、カタカタとリズムよく動く印刷機を前にすると、その昔に愛馬
で難しい障碍物を飛び越え、早春の武蔵野を軽速足でタッタッタッと駆け抜けた時の爽
快なる気分に浸れる。
藤澤先生は、荒馬をも旨くこなせる名騎手・名調教師であったのか。

 ○平成14年10月25日、新しいパソコンに切り替えた。
その切り替えの時期も機種も全て彼にお任せしていた。
一時は、「そんなこと言われたら自分で組み立てたくなる」とのことであった。
彼の腕前に傾倒していた前述のT君も、勉強のため組み立てを手伝いたかったようで
あったが、結局は日本橋の二宮無線へ同行することとなり、富士通xpを選んでくれた。
勿論、値段の交渉から部品の選定まで・・・・・・。なお、据え付けの為に拙宅まで通勤。
古いパソコンの処分まで、面倒を見てもらった。
 最後に来てくれたのは10月28日。Pm5時頃、「もうこれで大丈夫です。今日は早く
帰ります」と玄関先まで出てから、検査入院を言われているとのことを聞かされた。
その立ち去って行く彼の背に「何事も無かれ」と念じつつ、愚妻と二人で見送った。

○そのパソコンに残る彼からの最後のメールは、淡々と直近の検査結果を知らせてく
れたもの。2003,2,4。 20:49.付。その心中や察するに余りあり・・・・・・!。

 それから半年の後、遂にメールも届かない彼方へと旅立ってしまった。

○今年も早や立春、今頃は天国の蓮池のほとり、ノートパソコンを前に老若男女を集
めて、あの懇切丁寧な藤澤学校が開かれているのではなかろうか。

 有り難う!。 藤澤先生!。
どうぞ安らかに!。 心よりご冥福をお祈り致します。  合掌!。

                                                
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