藤澤さんと橋梁工学
村上 正 (元大阪市)
私も藤澤さんと同じ大阪市役所に勤務しておりましたが、お顔は存じていましたものの、余り深いお付き合いはありませんでした。 それは、藤澤さんが土木局(現在の建設局)一筋に歩まれたのに対し、私は港湾局、総合計画局、都市再開発局と港湾・計画系の局を歩んだからです。 しかし、最近になって、 (財)大阪市土木技術協会が発行しました「土木局・建設局業務論文報告集」を見ていまして、「仮締切兼用鋼管矢板井筒の施工と残留応力管理」という論文を見つけました。 この著者が、街路部立体交差課主査・藤澤政夫、立体交差課・吉田昭善となっていましたので、驚きました。 私も立体交差課に在籍したことがあり、吉田昭善さんは私の部下だったこともあるわけで、同じ時期に同じ課には居なかったけれども、同じような仕事をしていたのだということに気が付きました。この論文の概要を紹介して、藤澤さんの仕事の一端を知っていただくとともに、吉田昭善さんにお会いして、藤澤さんの思いで話を聞くことにしました。
この論文は、堂島川に架かる上船津橋・湊橋の架け替え工事に関するもので、戦前に架設された橋は幅員が狭小で老朽化しており、計画幅員に合わせ
37.5mに架け替え拡幅するとともに、3m程度の嵩上げを行うものです。工期は昭和
48年3月から 54年夏までで、延長 78m、橋面積 2,925u、上部工は3径間連続合成桁、下部工は橋脚が鋼管矢板井筒基礎によるRCT型橋脚、橋台が場所打ち杭基礎による逆T型擁壁で、総事業費は1,810百万円でした。本工法の設計上の問題としては、平面形状・残留応力の推定・鋼管矢板根入部の土のバネ定数の取り方であり、施工上の問題としては、被圧水対策と水中コンクリートスラブの構造的信頼性であり、また、水替・掘削・支保工等一連の施工時に発生して鋼管矢板井筒本体に残留する応力についてであります。 この橋では、これらの問題点のうち、鋼管矢板本体に施工時に残留する応力の把握と、支持層になっている第一天満砂礫層の被圧水対策について、実測を行いながら検討が行われました。
その結果、鋼管矢板本体の残留応力については、実測値と計算値はかなりの精度で一致しており、当初設計で見込んだ値より下回り、また、被圧水対策については、水中コンクリートスラブをRC構造として揚圧力に抵抗できるように考慮し、安全に施工することができたそうです。
以上が、この論文の概要であり、大阪のような沖積平野上の橋梁架橋はかなりの苦労があったことが推察されます。
この他に、藤澤さんが手掛けられた橋梁は、吾彦大橋(吾孫子筋)・新淀川大橋(新御堂筋)・なみはや大橋・夢舞大橋・新千歳大橋など大阪を代表する有名橋梁が多々あり、それに関する論文も多く書かれています。
また、同僚や部下の人の評価は、温厚にして度胸があり、とことん親切だったと言われており、彼の周りで彼を支えた人の中には、もう故人になられた人もありますが、私が懐かしく思う人も沢山おられます。
最後に、藤澤さんの業績を讃え、ご冥福をお祈り申し上げます。
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