藤澤政夫さんの早世を悼む
(千歳橋によせて)

                                   近藤和夫(元大阪市助役)

 藤澤さん、貴方がこんなにも早く、この世に別れを告げ、我々の前から姿を消してしまうとは、全く思いもよらぬことでありました。
 平成14年の秋、我々大阪市橋梁OBグループがかねての懸案であった大正区大正内港を渡る千歳橋上部構造の製作地組立と現場架設を見学した時の藤澤さんの真剣な質問・意見・また彼のほっとしたようなまなざしは、今なお目に焼きついてはなれません。大阪市西部の臨海部は、木津川・尻無川などの水域に囲まれ、架橋による道路ネットワークの充実が求められていたため、千本松大橋・なみはや大橋・新木津川大橋などの整備が進められてきましたが、大正区内の環状道路を形成するため最後になったのが、大正内港を渡る千歳橋でありました。
 

 最近になって、加藤隆夫氏(元大阪市土木部長)から、この橋の実現のために加藤氏とともに苦闘した藤澤さんの努力について伺いました。
 なみはや大橋は昭和53年から事業着手となりましたが、建設省の補助枠が少なく、遅々として進まぬ状況にあったことは私も承知し、苦慮していました。建設省からは、有料事業に変更するよう再三の要請が続いたようです。
 しかし安易に途中から有料橋とすることは地元説明がむずかしく、なすところもなく時間が経過しているなかで、かねてから地元が要望していた千歳架橋を事業化することによって地元の諒承をとることを思いつき、建設省や市議会に働きかけることを発案したのは、当時の橋梁課長・藤澤さんの的確な判断と尽力に負うところ大であった、と加藤氏が述懐されました。

 千歳橋は、今となれば藤澤さんの最後の想い出の橋であったと考えます。それが、現場見学の際の笑顔の中にも感慨深い表情として見られたのでしょう。
 ところで、平成15年1月に入院された時に見舞いに訪れた私に「実は昨秋の千歳橋工事見学の時に、おなかが痛かった」と申されたのを想起し、悄然としました。
 貴方は、何時も明るく、温厚誠実であり、よく人を気遣われ、また技術士として社会貢献にも積極的で、高齢の私も何かと大変お世話になりました。感謝と無念さいっぱいの心境です。藤澤さんが生涯をかけて注いだ橋への情熱は大阪市内の各所において活かされており、それは貴方の名とともに何時までも残ることでしょう。
 大阪市内では珍しい、景観に配慮したシンボル性の高い、ブルーのブレースドリブアーチ橋・千歳橋を、なみはや大橋の橋上から眺め、藤澤さんを偲びたいと思います。
 同行していただいた浮体橋視察のためのノルウェイ旅行など、思い出は尽きません。藤澤さん、どうも有難う。 合掌。 



                

                       千歳橋のパンフレット(大阪市)


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