藤澤さん物語
池亀建治(日本PFI協会)
藤澤さんが亡くなったのは暑い夏だった。 また、暑い夏になった。 藤澤さんを思い出すのも、はじめはビデオのように連続して思い出していたが、今は何か、一つ一つの場面として「写真」のように想い出す。 それも、カラーではなくセピア色の白黒写真が多くなった。
どの写真も穏やかな笑顔である。
天神祭の鉾流橋の上で、テレビ収録のために 橋の説明をされているお顔。
歯の手術のお見舞いに愚妻と伺ったときの、病状の説明を淡々とされている時のお顔。
教育テレビに娘さんを見つけて、そのお話をした時のうれしそうなお顔。
でも、何度か とんでもなく厳しい言葉が、メールで飛んできた。
容量を超えた「添付ファイル」についてのお叱りメール。
ボランティア活動にお金が関与したときのご主張メール。
そのあとお会いしても、変わらない 穏やかなお顔。
* 優しさと厳しさの同居
いつも 控えめでありながら、われわれCVVをメールやホームページでぐんぐん引っ張って
いかれるリーダーシップ。
* 裏方とリーダーの同居
非常にオーソドックスなご主張と新しいことへの挑戦の意欲。
* 旧さと新しさの同居
* 厳しいご病気とあの明るさの同居
こんな矛盾を全部包んでお持ちでありながら、折り目正しく、筋道が立った、冷静な生き方が
人を惹きつけた。
私の想像であるが、最後の藤澤さんの「写真」は、糊の効いた和服で襟を正して正座され、
穏やかな顔で橋のお話をされている姿である。
お世話になりました。 ご冥福をお祈りいたします。
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