16 水防碑(すいぼうひ)

  大阪で生まれ育った人々の脳裏から離れることのない昭和時代の大きな自然災害は、
 室戸・ジェーン・第二室戸の三つの災害です。また、大阪市が大きな災害の防止の取
 り組みの原点や基点にしているのが、この三つの災害です。
  平成の時代に入って、1995年(平成7年)に、阪神淡路大震災を経験した我々は、
 「水防碑」の碑面に刻まれているように、「災害は忘れたころにやってくる」を心に刻んで、
 水防だけでなく、地震・火山噴火・津波・高潮などを含めた自然災害に対する備えと
 対策をしておくことが必要です。そして、我々人間を取り巻く自然の恵みと偉大さに感謝
 すると共に、その恐ろしさを常に心に刻み、人間生活と自然との調和を図りつつ大きな自
 然災害への備えをしておく必要があります。そういった意味からこの種の「水防碑」が建立
 されています。

       
                  昭和山登り口横の「水防碑」
  
       
                        裏面
  

  大阪市内は、「水の都」と呼ばれてきたほど、海に接し、川を利用した町だけに、人々
 は、水害に悩ませられて続けてきました。そのため、「水防碑」は、大阪市内の川や海の
 近くに数多く建てられています。

  私が今までに知った同種の碑の位置を記しておきます。

 [同種の碑石]

  (水害関係)  

      西 区 長堀通 西長堀公園内(長堀川跡)  

      都島区 大阪市長公邸付近の大川沿い

      浪速区 幸町2丁目(西道頓堀橋南西詰め)

      大正区 昭和山登り口横

  (高潮関係)

      港 区 港住吉神社境内