9 津守駅(つもりえき)
「津守」という地名は、(住吉)津を守るということであり、住吉大社の歴代神主で
あった津守氏に由来していると思われます。
大津皇子の歌に、「大船の津守が占(うら)に告(の)らむとは兼ねてを知りて我が二
人寝し」(大意・・津守の占いに露顕することは前以ってわかっていて、それでも私たち
は二人寝たのだ)と万葉集にあり、古くからあった地名と考えられます。
この地が出来たのは、元禄11年(1698年)、から始まった、京都の横井源左衛門・
金屋源兵衛による新田開発によってです。
折角干拓した72町歩ほどの土地も、幾たびかの天災で水没を繰り返したり、開拓
者も変わりましたが、元文5年(1740年)頃には治まり、新田が造られました。(巻末
地図JK参照)
開拓された新田には、管理するための津守新田会所が、今の津守小学校の地に
設けられました。その会所跡碑が、同一敷地内にある津守幼稚園に残されています。
また、新田開発に当たって、工事の成就と五穀豊穣を祈って創祀されたのが「津守
神社(つもりじんじゃ)」です。
なお、汐見橋駅は、浪速区にありますが、木津川・津守駅の両駅は、西成区にあり
ます。また、津守駅の次の駅「西天下茶屋」の駅舎は、大正4年(1915年)に建てられ
た古い駅舎で, この駅付近でNHKの「二人っ子」のロケが行われたそうです。
「天下茶屋」とつく駅は、「西天下茶屋」の他、「北天下茶屋(阪堺線)「天下茶屋
(地下鉄堺筋線)」があります。
南海・津守駅