12 千島公園(ちしまこうえん)
◎ 千島
巻末にある江戸時代の地図の、「炭屋」の南に、「千島」と表されていますが、これは、
千島新田のことです。
千島新田は、東成郡千林村(現旭区)の岡島嘉平次(おかじまかへいじ)により、 明和
5年(1786年)から順次開発されました。地名は、 千林村の「千」と、姓の「岡島」の「島」
をつなぎ合わせて、「千島新田」と命名されました。
大正時代の千島町一帯は、西区から移転してきた木材業者により、関西随一の木材
市場となり、大正12年に完成した延長1,963m、 幅45mノ大正運河を中心に,住之江区
の平林貯木場へ移転するまで、貯木場として利用されていました。
○ 千島公園
この運河や貯木場があった千島町一帯に「港の見える丘」を作るという「千島計画」が、
昭和44年(1969年)4月に発表され、人工の山と公園がつくられることになりました。人工
の山が「昭和山」(後述)であり、公園が、「千島公園」です。
公園が造られ始めてから、約40年経った現在では、さくらをはじめ、大正区の花である
つつじの樹も大きくなり、「せせらぎ」のある緑いっぱいの、区民の憩いの場になっています。
千島公園(正面)
公園案内