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( 天王寺から谷町九丁目へ )
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平成16年4月29日(みどりの日)に、表題の見学会が開催されました。 |
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絶好の快晴に恵まれ、参加者65名が、平尾(説明者)班、北村(説明 |
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者)班の2班に分かれ、天王寺から谷町九丁目までの上町台地の緑の |
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中の名所、旧跡を訪ね、有意義な半日を過ごしました。 |
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当日の探訪ルートは、次の通りです。(右図参照) |
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JR天王寺駅(午前9時出発)→@阿部野橋陸橋→天王寺公園→A慶
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沢園→B河底池→茶臼山→C堀越神社→D谷の清水→E庚申堂
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→FG四天王寺→H安井(居)神社→I天神坂→J玉出の滝→K
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清水坂→L浮瀬亭(うかぶせてい)跡→M愛染堂→N大江神社→O愛 |
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染坂→P家隆塚(かりゅうづか)→Q口縄坂→R聖源寺坂→S生國魂公 |
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園(午後0時30分)
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黒字 : 建造物
水色 : 水史跡
緑色 : 緑地
赤色 : 坂道
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※ 数字の入った○印は、写真撮影箇所 |
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[上町台地について]
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上町台地は、海水面の変動と断層運動によって大阪市内の真ん中
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を南北に尾根状に沖積層が盛り上がってできた土地である。
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標高20m余りの高まりは低地との差が15mほどあり、西斜面は急な
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崖、東斜面は谷の多いゆるやかな斜面となっている。
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そのため、寺の多い谷町筋と松屋町筋の間には多くの坂があり、沖 |
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積層があったことから、水が湧いたり名水と呼ばれる井戸が沢山あっ |
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た。 |
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大阪では、二次林の緑が多く残る所で、多くの文学の舞台にもなっ |
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ている。 (平尾氏の配布説明資料による) |
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( ○印の数字をクリックするとその場所の画像が見られます)
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写真を撮った箇所について順次説明いたします。
(写真をクリックすると大きな写真が見られます)
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JR天王寺駅コンコース(1)
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JR天王寺駅コンコース(2)
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平尾班の皆さん
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北村班の皆さん
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昔の熊野街道です。 |
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北方: |
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南方: |
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天王寺を起点とする、大阪では唯一の |
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路面電車である阪堺電気軌道の「上町 |
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線」が走っています。 |
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昭和3年製の電車
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昭和6年製の電車
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元住友家本邸の庭園で、天王寺公園内
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に保存されています。 |
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慶沢園の碑
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慶沢園の門
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長屋門
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B 河底池 |
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奈良時代に、和気清麻呂が河内川(現大和川)の水を大阪湾に引こうとして
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掘って未完成に終わった遺跡といわれています。 |
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写真右の森は茶臼山です。天王寺公園内にあります。 |
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河底池
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推古天皇時代に、聖徳太子により創建された神社です。
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祭神は、第32代崇峻天皇。 |
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境内に、「熊野第一皇子之宮」があり、熊野権現への出発地と |
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されています。 |
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堀越神社
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「熊野第一王子之宮」由来
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四天王寺名水井戸の一つであり、庚申参りの人たちの憩いの
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井戸でありました。 |
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谷の清水
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「谷の清水」の前にて
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四天王寺の別院として位置し、本尊に「青面金剛童子」が祭られています。
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庚申堂
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四天王寺南大門を境内に入ったところにあり、熊野詣でをする人々がここで遥
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拝し、旅の安全を祈願して旅立ったといわれています。 |
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熊野権現礼拝石
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四天王寺の六時堂南の「亀の池」の上に設けられた「石舞台」で重要文化財です。 |
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毎年4月22日に、聖徳太子を偲んで聖霊会舞楽大法要が行われ、古来よりの
作法にのっとった舞楽が舞台上で舞われます。
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石舞台
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菅原道真が大宰府に左遷される途中、ここで修行したところから安 |
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居天満宮と呼ばれています。 |
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又、名将真田幸村が大坂夏の陣で、この地で戦死したとされ、境内 |
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に「真田幸村戦死跡之碑」が残されています。 |
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安居神社境内
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真田幸村戦死跡之碑
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安居神社のすぐ北側の坂で、神社に通じるところからこの名がつけられています。 |
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天神坂
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清水寺境内の崖から水が流れ出ており、大阪市内で唯一の滝とし
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て知られています。 |
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滝の下にはお不動様があり、この滝に打たれて修行する人もある |
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そうです。
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玉出の滝
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清水寺境内にて
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清水寺の北側の坂で、清水寺に通じるところからこの名がつけられています。 |
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清水坂
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L 浮瀬亭(うかぶせてい)跡の碑と蕉蕪園碑(大阪星光学院内)
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大阪星光学院の敷地は、江戸時代の料亭「浮瀬亭」(うかぶせてい)が |
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あったところで、同校の正門横に「浮瀬」の碑が置かれています。
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「浮瀬亭」は芭蕉や蕪村がよく訪れて俳句を読んだところとして、同 |
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校が校庭の西の一角に「浮瀬俳路蕉蕪園」を設置して、卒業生が |
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句碑を残していっております。 |
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浮瀬の碑
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大阪星光学院「蕉蕪園」碑
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校舎に入ったすぐの事務所で許可をもらって、見学することが出来ます。 |
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聖徳太子によって建立された四天王寺の施薬院です。 |
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「愛染さん」として親しまれ、愛敬開運・商売繁盛を祈る参詣者で |
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賑わいます。 |
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多宝塔は、桃山時代に再建されたもので、国の重要文化財です。 |
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愛染堂正面
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愛染堂多宝塔
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天王寺七宮の一宮で、聖徳太子の創建とされています。 |
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四天王寺の乾の方角に位置しているため、昔は乾社と呼ばれたそうです。 |
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大江神社
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愛染堂から松屋町筋に通じる坂で、愛染堂に因み名付けられました。 |
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愛染坂
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藤原時代の歌人、藤原家隆の塚で、家隆がこの地で読んだ |
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「契りあれば なにわの里に やどりきて 波の入日を 拝みつるかな」 |
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の歌から、夕陽丘の地名が発祥したと由来に書かれています。 |
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家隆塚
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家隆塚由来
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坂の下から眺めると、道の起伏が蛇(くちなわ)に似ているのでこの名 |
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が付けられたとあります。 |
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上町台地の代表坂の一つです。 |
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口縄坂
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口縄坂説明板
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坂の上り口に、源聖寺があるのでこの名がつけられたとあります。 |
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この坂も、上町台地の代表坂のひとつです。 |
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源聖寺坂
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源聖寺坂説明板
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本日の上町台地探訪の終着地、生國魂神社境内で最後の説明 |
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中のCVVの北村さんと参加者の皆さんです。 |
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お疲れ様でした。 |
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生國魂神社境内
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以上で、「上町台地の緑の森を訪ねて パート2」の探訪報告を終わらせて頂きます。
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お世話頂いた皆様、参加して頂いた皆様有難うございました。 |
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CVV 担当一同
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