1 木津川口遠見番所跡(パネル)(きづかわぐちとおみばんしょあと)

     木津川は、大阪の経済を支える大動脈として、諸国の船の出入りで賑わいました。
     当地は、昔、「姫島(日女島)」と呼ばれ、漁家が三軒あるだけでしたので、三軒家とも呼
    ばれていましたが、義民として名高い、中村(木津)勘助(・・後述)が、慶長15年(1610年)
    に豊臣家のために軍船係船所の建設や船着場・水路の整備等を行い、その功により
    「勘助島(かんすけじま)」と名付けられました。

     江戸時代になって、幕府は、宝永5年(1708年)に、現在地に「木津川口遠見番所(=
    沿岸各地に設けた、外国船等を見張る番所)」を設けました。

     パネルは、大正橋公園内にあります。


                  木津川口遠見番所跡パネル