[ 大和橋 ]
( やまとばし )
[ YAMATO BRIDGE ]
大和川に架かる橋である。
現在の大和川の下流部は、江戸時代の中期に付け替えられたもので、河内に流れ込んでいた旧河川は大
雨ごとに氾濫を繰り返していた。大和橋は、紀州街道が大和川を渡るところに架けられた公儀橋であった。
最初の大和橋は、大和川の開削と平行して工事が進められ、宝永元年(1704)9月、川の通水に先立って完
成、渡り初めが行われ、10月には堺奉行の管理となり、大和橋と命名されている。橋の規模は、橋長70間
(137.9m)、幅員3間(5.9m)であり、以後この規模を守って維持補修がなされている。その後も洪水のたびに修
復が繰り返され、明治2年(1869)には堺県の手によって架け換えられている。
この橋も明治18年(1885)の大洪水によって大きな被害を受けたため、大正5年(1916)には大阪府の手に
よってはじめて鉄橋に架け換えられたが、橋の規模は江戸期のものとあまり変わらなかった。その後、昭和
14年(1939)に大規模な補修が行われ、橋桁にはJ桁鋼、橋脚には鋳鉄柱が用いられ、橋長は192.9mとなっ
た。
現在の大和橋は、橋の老朽化と大和川の河川改修のために、昭和49年10月に架け換えられたもので、橋
長192m、有効幅員9.5m(2車線+両側歩道)の規模をもっている。橋梁形式は、3径間連続の斜張橋である
が、床版がコンクリートで設計上プレストレスしない合成桁の思想を取り入れた珍しいものである。 

全景
側面 (上流側)
下からの側面 (上流側)
左岸側主柱
右岸側主柱
橋名石(漢字表示)
橋名石(ひらかな表示)
製造標 (1972年2月)(石川島播磨重工業株式会社)
大和橋之碑
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道路面 (左岸側から右岸方向)
道路面 (右岸側から左岸方向)

[ 旧紀州街道 ]
大和橋は、紀州街道の公儀橋で、右岸の道路沿いに「紀州街道」の説明板が、大阪市により建てられている。
「紀州街道」説明板
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現在の道路
現在の道路に残る遺構